No.2「くるり棒」(歴史民俗資料館)
『歴史の小箱』では、当館に寄贈・寄託された資料の中から、オススメの1点を展示・紹介しています。(一定期間展示した後に収蔵庫に戻します)
第2回目は、くるり棒を展示・紹介しました。
くるり棒は、刈り取った麦や大豆を叩いて、芒(のぎ)や粒を落としたり、脱穀を行うための道具です。
「唐竿」とも呼ばれており、握り手となる「柄」、回転して稲や麦を打つ「打部」、柄と打部を繋ぐ「連結部」という3つの部品からできています。
毛呂山町内で使われていたくるり棒は、打部が1本棒ですが、他の地域では3本並んでいるものもあります。
寄贈者の大野さん(滝ノ入)は、くるり棒を2人1組で使い、豆類や麦類の脱粒を行っていました。
くるり棒のサイズ
柄の長さ 124センチメートル 打部の長さ 85センチメートル 打部の直径 5.6センチメートル

くるり棒

麦打ちの風景(明治末~大正初期)

芒(のぎ)は米や麦などイネ科の植物の穂先にある棘状の突起のことです。麦を運ぶ時などには、よく芒が刺さり、刺さった箇所は大変痛く、ヒリヒリしたそうです。
中央の写真は、明治の末頃から大正時代にかけての麦打ちの様子を写したものです。
関東地方では、麦打ちを数名で協力して行うことが多く、調子を合わせるために「麦打ち唄」を唄いながら行いました。
毛呂山には数多くの麦打ち唄が残っていますが、多くの地区の麦打ち唄は「岩殿山」から唄い始めました。
毛呂本郷の麦打ち唄
~岩殿山で鳴く鳥は 声もよし音もよし 岩の響きで
岩殿山から雲が出た あの雲はいかにも雨か嵐か
おてんと様の申し子で 六月の日照りに笠もかぶらず
名栗の者は色黒い 黒いはずだよ名栗は炭の出所~
「毛呂山民俗誌」Vol.2より
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更新日:2023年10月17日