江戸時代22の村むら

《天保4年毛呂郷の大絵図(複製)展示風景》
新たに関東の支配者となった徳川家康の方針で、埼玉県域は川越、忍(行田市)、岩槻といった拠点を城下町として与えた以外は、天領(幕府直轄地)となり、県域の大部分が代官の支配下におかれました。毛呂山も例外ではなく、22もの村に細分化され、正保年間(1644~47)頃より代官にかわって、旗本(1万石未満の幕府の家来)が知行地として治めるようになると、約20の旗本、大名の支配を受けることになりました。
この記事に関するお問い合わせ先
歴史民俗資料館
〒350-0432
埼玉県入間郡毛呂山町大字大類535番地1
電話番号:049-295-8282
ファクス番号:049-295-8297
お問い合わせはこちら
- みなさまのご意見をお聞かせください
-
更新日:2021年12月23日