桂木と仏教文化

更新日:2021年12月23日

「 信仰の地桂木」~桂木山と行基伝承~

滝ノ入地区にある桂木山は、「桂木寺略縁起」によると、奈良時代の高僧・行基(668~749)が訪れた地と伝わっています。行基が当地を訪れた際、その風景が大和国(現在の奈良県)葛城山に似ていることから、「桂木」という名となり、行基により堂宇と仏像が作られ、評判となり、多くの信仰者から寄進があり、観音堂を含めた七堂伽藍が建立されたと伝わっています。
 また、江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』では、「ここより房総、上下野州、或いは秩父の山々などまのあたりにみわたされたり、また近くは川越城、伊佐沼など眼下に見えり」と記されており、当時の眺望が遮るものがなかったため、現在の千葉県、茨城県、栃木県、群馬県などの関東一円を見渡すことが可能な景勝地でした。

山の途中に木々がある、桂木山図の絵画の写真

桂木山図(『新編武蔵風土記』 国立公文書館蔵)

緑に囲まれた、桂木観音堂の外観写真

桂木観音堂

雲空の下、緑に囲まれた桂木山の写真

桂木山

桂木展望台から見える、緑と青空広がる街並みの写真

桂木展望台からの眺望

桂木に伝わる木彫仏

桂木の地には、古代仏教文化の信仰の形として桂木寺伝釈迦如来坐像(埼玉県指定文化財)、桂木観音堂木彫仏群(毛呂山町指定文化財)が伝わっています。桂木寺像は10世紀の作、桂木観音堂木彫仏群のうち僧形坐像は10世紀の作、本尊千手観音立像は11世紀作です。

 桂木寺像は、作風の特徴から東国地域で活動していた在地仏師によって造像された作例です。在地仏師による作例としては県内最古級であるとともに、当時の毛呂山周辺の仏教文化の隆盛を伝えるだけでなく、古代東国における在地仏師の造像活動のようすを考える上でも重要な作例です。

また、近年の研究により、桂木寺像は、造像当初の左手に薬壺をのせていたと考えられる「ホゾ穴」が確認され、桂木寺像も「薬師悔過(やくしけか)」に基づく、薬師如来である可能性が指摘されています。周辺地域では、飯能市常楽院に伝わる10世紀作の薬師如来坐像があります。11世紀以降では、行蔵寺薬師如来坐像や越生町下ヶ戸薬師堂の薬師如来立像があります。

このように外秩父周辺に多くの薬師如来像が伝わっており、10世紀から11世紀にかけても毛呂山周辺で「薬師悔過」による薬師如来像の造像があったと考えられます。

右手を上げ、左手を下向きに置いた、座禅を組んだ伝釈迦如来坐像の写真

伝釈迦如来坐像
(桂木寺)

背の部分に沢山の棒をかついだ、本尊千手観音立像の写真

本尊千手観音立像
(桂木観音堂)

片眼の閉じた、僧形像の写真

僧形像
(桂木観音堂)

2本の木を重ね合わせた様な、菩薩形像の写真

菩薩形像
(桂木観音堂)

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