出雲伊波比神社の流鏑馬

更新日:2021年12月23日

 流鏑馬の舞台、出雲伊波比神社は、臥龍山の頂上にあり、本殿と旧八幡社が並んで建っています。江戸時代後期まで、現在の本殿は飛来大明神と呼ばれ、旧八幡社は8月、飛来大明神は9月に、それぞれ流鏑馬が行われていました。今では、旧八幡社の流鏑馬は3月の春の流鏑馬に、飛来大明神の流鏑馬は11月3日の流鏑馬に引き継がれています。
 伝承では、康平6年(1063)、源義家が奥州征伐の凱旋の際、戦勝のお礼に当地を訪れ、八幡社を建て、流鏑馬を奉納したことがはじまりといわれています。
 埼玉県内で今日まで伝えられている地域の伝統行事としての流鏑馬は、ときがわ町萩日吉(はぎひよし)神社の流鏑馬と毛呂山町出雲伊波比神社の流鏑馬で、毎年行われるのは出雲伊波比神社の流鏑馬のみです。

流鏑馬の衣装を身にまとった男性が、走っている白馬に乗って右側の的に向かって矢を放とうとしている写真

 流鏑馬は、中世、源頼朝の家臣だった毛呂氏が治めた領地ともいわれる旧毛呂郷の人びとによって行われます。旧毛呂郷は、祭礼区と呼ばれる3つの地区に分かれ、第一祭礼区(毛呂本郷)、第二祭礼区(小田谷と長瀬)、第三祭礼区(岩井と前久保)から1頭ずつ馬が出され、3頭の馬により流鏑馬が奉納されます。
 秋の流鏑馬では15歳前後の少年が「乗り子」と呼ばれる射手を務めます。出雲伊波比神社の流鏑馬は、鎌倉武士の稽古、精進、出陣、合戦、凱旋という、一連の生活を表しているといわれます。

 毎年3月の第2日曜日には、毛呂の流鏑馬の起源である春の流鏑馬が行われます。春の流鏑馬は、毛呂郷の総鎮守である八幡社の流鏑馬で、古くは、付け祭りとして獅子舞も奉納されていました。7歳未満の幼児が乗り子となるのは、「7つうちは神の子」といわれるように、幼児は神様により近い存在と考えられるためです。
 春の流鏑馬では、その年の秋の流鏑馬のリーダーとなる一の馬によって、静止した馬の上から的に1本だけ矢を射る「願的(がんまとう)」という行事が行われます。また、乗り子の頭上には、オカイドリといわれる小袖が同行します。オカイドリは乗り子を守る母親の象徴とされています。

白馬に乗って、頭上にカラフルな色の飾りを乗せ赤色の流鏑馬の衣装を着た男の子の写真

春の流鏑馬

笹の木の上に、白色と赤色のオカイドリが乗っている写真

オカイドリ(小袖)

『出雲伊波比神社のやぶさめ』は、平成17年3月に埼玉県指定無形民俗文化財となりました。

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