埼玉県選定重要遺跡 竜ヶ谷城跡

更新日:2021年12月23日

埼玉県選定重要遺跡の一つ、毛呂山町に残る中世の山城「竜ヶ谷城跡(りゅうがやじょうあと)」を紹介します。

竜ヶ谷城跡の風景

青空の下、緑に囲まれた竜ヶ谷山城の写真

竜ヶ谷山城が築かれた竜ヶ谷山(りゅうがいさん)

山頂から見える、毛呂山の町並みの写真

 山頂の平場「一の郭」跡からの眺望は、毛呂山の町並みが一望できます
 中央に写る森は、出雲伊波比神社が鎮座する臥龍山です

竜ヶ谷城跡の概要

 外秩父山地から連なる山並みの東端に位置する竜ヶ谷山は、東に広がる毛呂台地を一望できる標高約205メートルの山です。
 その山容は、斜面が険しく、周囲の山々から独立した孤島のような形をしており、かつては要害山とも呼ばれていました。この険しい地形を活かして築かれた中世の山城が竜ヶ谷城です。
 竜ヶ谷城の構造は、山頂の雷電神社付近の一の郭、神社の社務所や神楽殿が建つ平場に造られた二の郭、二の郭から南西に延びる細長い尾根に設けられた三の郭から形成されており、各郭の周囲の斜面には腰郭や竪堀が備えられています。

竜ヶ谷城跡の平面図

竜ヶ谷城跡の平面図

 竜ヶ谷城の来歴については、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』の阿諏訪村についての記述の中に「瀧谷山 要害山とも書す 上り十町許の山にて瀧野入村の境にあり 昔阿弥和巳之助と云る者の陣屋ありし處なり」と記しており、城を治めた人物について記されていますが、築城時期などにまだ謎の残る山城でもあります。
 また、地域に伝わる伝承には、竜ヶ谷城では合戦が行われた際に、水の手が絶たれた城方が城内の窮境を悟られぬよう白米で馬を洗う様子を攻め手に見せた、と伝えられています。この合戦に関する文献は、残念ながら残されていないため合戦の詳細は不明ですが、戦国時代の山城合戦の風景が忍ばれるエピソードです。
 謎の多い竜ヶ谷城は、地域では字名にちなんで「龍谷山城(りゅうがいさんじょう)」とも呼ばれており、毛呂山の中世史を彩っています。
(竜ヶ谷城跡は、昭和51年10月1日に埼玉県選定重要遺跡に選ばれています)

竜ヶ谷城跡の位置

 地番 埼玉県入間郡毛呂山町大字阿諏訪1562-2

竜ヶ谷城跡散策にあたっての注意

  1. 竜ヶ谷城跡は、ゴルフ場内の山の中にあり、自動車で上ることはできません。 山城散策は徒歩で上ってください。
  2. 山頂には、雷電神社の参道を通って上ります。参道の途中には、ゴルフ場の鉄柵があり、見学に際して開けて通ることができますが、通った後は必ず閉めましょう。
  3. 見学に際しては、ゴルフコース内には入らないで下さい。

この記事に関するお問い合わせ先

歴史民俗資料館

〒350-0432
埼玉県入間郡毛呂山町大字大類535番地1

電話番号:049-295-8282
ファクス番号:049-295-8297

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