かんさつしよう!鎌倉街道(かまくらかいどう)の宿場(しゅくば)はどんなところにつくられた?
鎌倉街道上道(かまくらかいどうかみつみち)のりょうがわには、宿場(しゅくば)「苦林宿(にがばやしじゅく)」がありました。
今の大類(おおるい)グラウンドは、宿場(しゅくば)のあとだったのです。
大類(おおるい)グラウンドの遺跡(いせき)の名前は、「堂山下遺跡(どうやましたいせき)」といいます。
遺跡(いせき)の調査(ちょうさ)では、たてもののあとや井戸(いど)のあと、お墓(はか)、おなべや釜(かま)などのだいどころの道具(どうぐ)などが見つかりました。ほかにも、中国大陸(ちゅうごくたいりく)からはこばれたやきものなど、遠くはなれたところのものが、大量(たいりょう)に見つかりました。
これは、宿場(しゅくば)の遺跡(いせき)から見つかった、台所の道具です。
左が釜(かま)で、右がおなべです。
釜(かま)の口が小さいので、これはおゆをわかしたものでしょう。
おなべのうちがわには、とってがついていますので、とってにひもなどをとおして、はこんだり、火の上につるしたりしたとかんがえられます。
宿場(しゅくば)の遺跡(いせき)からは、たくさんの井戸(いど)が見つかりました。ひとびとが井戸(いど)からたくさんの水をくんで、生活していたことがわかります。
宿場(しゅくば)から見つかっためずらしいやきもの
宿場(しゅくば)のあとから、めずらしいやきものが見つかっています。
中国大陸(ちゅうごくたいりく)でつくられたやきもののはへんです。
青い色のやきものは、青磁(せいじ)、白い色のやきものは、白磁(はくじ)といいます。
ほかにも、今の愛知県(あいちけん)のほうからはこばれてきたやきものがあります。
今の愛知県(あいちけん)の常滑(とこなめ)というところでつくった、大きなかめです。水のようなものをいれていたと思われます。こんな大きなかめを、馬や牛の車ではこんできたようです。
鎌倉街道(かまくらかいどう)の宿場(しゅくば)はどんなところ?
では、鎌倉街道(かまくらかいどう)の宿場(しゅくば)はどんなところにつくられたのでしょうか。
苦林宿(にがばやしじゅく)のあったところを見てみましょう。
これは毛呂山町の鎌倉街道上道(かまくらかいどうかみつみち)と苦林宿(にがばやしじゅく)を、そうぞうしてかいたイラストです。
左のてまえからのびる、まっすぐな道は、鎌倉街道上道(かまくらかいどうかみつみち)です。この道は、越辺川(おっぺがわ)につきあたっています。
この道にそってたくさんの家がならんでいるのが、苦林宿(にがばやしじゅく)です。
左の上のほうには、板碑(いたび)がたっていて、お寺があります。
お寺や板碑(いたび)のある場所は、宿場よりも高いところにあるのがわかります。
宿場(しゅくば)の中をとおる鎌倉街道上道(かまくらかいどうかみつみち)は、越辺川(おっぺがわ)にむかって、くだりざかになり、つながっているようです。
越辺川(おっぺがわ)には、ふねがうかんでいます。
このころは、ふねをつかってものをはこぶことも、かなりおこなわれていました。
ここは鎌倉街道上道(かまくらかいどうかみつみち)が、越辺川(おっぺがわ)につきあたったところあたりです。越辺川(おっぺがわ)はもうすぐそこです。
宿場(しゅくば)は、越辺川(おっぺがわ)をつかってはこばれてきたものを、うけとりやすいですね。
越辺川(おっぺがわ)に出てきました。宿場(しゅくば)のすぐ近くですね。
宿場(しゅくば)がどんなところにつくられたか、わかりましたか?
鎌倉街道上道学べるクイズラリーのこたえと解説
鎌倉街道上道(かまくらかいどうかみつみち)学べるクイズラリーに挑戦(ちょうせん)してくださったみなさん、ありがとうございました。むずかしかったかもしれませんが、鎌倉街道上道(かまくらかいどうかみつみち)のみかたがわかったあなたは、鎌倉街道(かまくらかいどう)マスターです!またぜひ来年も挑戦(ちょうせん)してみてください。
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更新日:2025年07月02日