鎌倉街道沿いの中世墓・崇徳寺跡

更新日:2021年12月23日

 江戸時代後期、幕府によって編纂された『新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)』川角村の条に、崇徳寺が苦林野合戦の戦火で焼失してしまったと記されています。
 鎌倉街道苦林宿とされる堂山下遺跡の南西に町指定史跡崇徳寺跡があります。昭和63年度(1988)の埼玉県立歴史資料館と毛呂山町教育委員会の合同調査をはじめ、平成27年度までに計4回の調査が行なわれました。
 調査の結果、建物跡や焼失の形跡は発見されていませんが、板碑をともなう中世墓などが確認され、火葬した骨を納めた蔵骨器や地面に立った状態で整然と並ぶ板碑が発見されました。かつて、崇徳寺跡に立っていた延慶3年銘の板碑と蔵骨器2口は、埼玉県指定文化財となっています。

木の根が顔を出すくらいまで土が掘られた、林の中の一角に、沢山の石が埋まっており、楕円形の穴が開いている中世墓・崇徳寺跡の写真

崇徳寺跡1号墓遺構

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