中世の歴史と文化を巡る~流鏑馬・鎌倉街道と苦林野~

『太平記』の舞台・苦林野

苦林野合戦

 鎌倉街道沿いの苦林野を舞台に、貞治2年(1363)、大規模な合戦が起きました。14世紀後半頃の軍記物語『太平記』に描かれた苦林野合戦です。

 室町幕府を開いた足利尊氏の子、足利基氏は、鎌倉府長官の鎌倉公方となり、補佐役である関東管領に上杉憲顕を起用しました。また、下野の武将宇都宮氏綱から越後守護職を剥奪し、憲顕に与えました。

 宇都宮氏綱の重臣芳賀(はがぜんか)は処遇に腹を立て、憲顕が鎌倉へ出仕するのを見計らって襲撃しようとしました。この動きをきっかけに、足利基氏は総勢3,000人余りの軍勢を率いて鎌倉街道を進み、一方芳賀禅可は、嫡子高貞と次男高家に800騎を与えて戦いに向かわせました。

 基氏軍と芳賀軍は、苦林野付近を舞台に激しい戦いを繰り広げました。足利基氏側が戦に勝利し、芳賀軍は宇都宮へ敗退しました。

 

合戦と苦林古墳

 合戦の舞台となった苦林野一帯には、古墳時代の古墳(6~7世紀ごろの豪族などのお墓)が数多く残されています。江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)』の「苦林野図」には、前方後円墳のほか、多数の古墳が描かれています。

 その中の1基である苦林古墳(大類1号墳)の上に、苦林野合戦供養塔があります。前面に千手観音像、背面に貞治4年(1365)6月17日にこの地で、足利基氏、芳賀禅可両軍の戦があったことが刻まれています。  

 苦林合戦供養塔  苦林野合戦供養塔

町指定文化財 苦林野合戦供養塔 文化10年(1813)

 

 『太平記』には、芳賀高貞が「小塚」に上り、基氏軍のようすを窺う様が記されていますが、物見に使った「小塚」こそ苦林古墳と考えられており、古墳上には、昭和8年(1933)に建てられた「苦林野古戦場」の碑があります。 

大類1号墳

芳賀高貞が物見に使った苦林古墳
「苦林野古戦場」は埼玉県の旧跡

 


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