中世の歴史と文化を巡る~流鏑馬・鎌倉街道と苦林野~

流鏑馬行事

 出雲伊波比神社の流鏑馬は、第一祭礼区(毛呂本郷)、第二祭礼区(小田谷と長瀬)、第三祭礼区(岩井と前久保)の3つの祭礼区の人たちが担い手となります。各祭礼区は、さらに祭馬区に分かれ、実際の運営は、輪番制による担当祭馬区が行います。

 毎年9月から10月下旬にかけて、毛呂本郷の的宿では祭具作りが行われ、各祭馬区でも馬小屋や祭具を準備します。氏子総代が馬場に柵を設ける馬場結いもこの時期に行われます。 

祭礼区 祭 馬 区

第一祭礼区
(毛呂本郷)

上町、中町、下町、東雲、金塚

第二祭礼区
(長瀬と小田谷)

長瀬一区、長瀬二区、長瀬三区、小田谷

第三祭礼区
(前久保と岩井)

前久保、大師一区、大師二区、平山、沢田

 

 

祭具作り
さいぐつくり

 流鏑馬で用いられる祭具は、毎年、各祭馬区の人たちと毛呂本郷の的宿で1点1点手作りしています。各祭馬区では、夕的の的、ムチ、ノロシ、ブチ棒などが作られます。的宿では、願的に用いられる神頭(じんどう)や、爪きり、乗り子の正装に欠かせない花笠、馬印などを作ります。そのほか、朝的の的は、藁細工の製作技術を持つ人によって作られます。

 

10月下旬 稽古はじめ

 祭馬が、馬主の元から出雲伊波比神社に到着し、乗り子が馬に乗って馬場を駆ける稽古はじめが行われます。その後、口取り(馬の世話をする人たち)が、祭馬を清めるために、川入れや、馬を洗う「そそ湯」を行います。この日からおよそ1週間、乗り子は早朝、馬場で稽古を続けます。

 

10月31日 稽古じまい

 10月31日の午後に最後の稽古を終えると、乗り子は神社で一晩を過ごします。これをお精進といいます。神官からお払いを受けた乗り子は、神社のふもとにあるミタラセ池で体を清め、神社の社殿まで走り、無事を祈願します。古式を重んじる流鏑馬の一面です。

 

11月1日 ノッコミ

 ノッコミは、11月1日の夕刻、各祭馬一行が、揃って本陣である毛呂本郷の的宿に乗り込む行事です。この日から乗り子と矢取りは的宿に泊まり、精進潔斎を続けながら11月3日の本祭りに備えます。 的宿では、乗り子の花笠につける房をつくる「房切り」という儀式も行われます。  

 

的宿へのノッコミ
のっこみ

房切りの儀式
ふさきり

 

11月2日

 

長瀬の旗立て
noboribata

 11月2日早朝、神社の参道に大きな幟旗が立てられます。長瀬一区、長瀬二区の氏子たちが輪番で「旗立て」を行っています。幟旗は神様が訪れたことを表す飾りで、先端には、祭りのときに神様が降りるための榊の葉がつけられます。参道脇の幟枠には、「宇内静謐(世の中が穏やかであるように)」「禾穀豊穣(穀類が実り豊かであるように)」の願いとともに、「長瀬 池田 前組 中組 後組 氏子」と刻まれています。

  

重殿(じゅうどの)参り

 出雲伊波比神社とかかわりの深い重殿淵は、流鏑馬で必ず参拝しなければならない重要な場所です。 重殿淵は、神社下のミタラセ池に落とした馬のひしゃくが流れついたという言い伝えもあり、神聖な場所とされています。的宿を出発した一行は、越辺川の重殿淵を参り、お祓いを兼ねて馬の口をすすぎます。

 

重殿淵へ向かう一行 
じゅうどの

重殿淵での馬の口すすぎ
じゅうどのまいり

 

 重殿淵の地元である前久保地区では、焼米の接待を受けます。焼米は、戦場での非常食を表すものと考えられますが、地元では、「焼米を食べるとしゃくが治る、産後の肥立ちがよい、雷が近くに落ちない」という言い伝えがあります。

 

焼米饗応(前久保地区)
やきごめ

 11月2日、前久保地区の人たちが早朝から集まり、地区内から奉納された米をふかし、炒った大豆を混ぜて焼米を作ります。午後、乗り子と一行を焼米で接待します。前久保は、流鏑馬の祭馬区に当たらない年でも必ず焼米行事を担当するという、他の地区とは異なる特徴があります。

 

  焼米饗応後、一行はミタラセ池で再び馬の口をすすいでお清めをし、神社で神職家から接待を受けます。

 

ミタラセ池での馬の口すすぎ 
ミタラセ池
神職家饗応
きょうおう

  

 11月3日 流鏑馬本祭り

 

追出(おいで)の餅つき

  3日未明、的宿では追出の餅つきが行われます。流鏑馬行事の中で撒かれるお石のほか、お供え、力餅が作られ、神前に供えられます。お石は、3日の出陣や馬場で撒かれる小さなおひねりで、お石を食べると子どもの夜泣きが治るともいわれます。 力餅は、乗り子と矢取りが懐に入れる餅で、3頭の馬の背にも力餅が入れられます。

 

大谷木一族による神社への参拝 
おおやぎし

 大谷木一族は、かつて神社本殿の鍵を預かっていたといわれ、毛呂郷の領主であった毛呂氏の子孫ともいわれています。3日早朝、前日の晩に一番風呂に入った者が作った赤飯を大谷木一族が神社に奉納し、神社本殿の扉が開かれ、祭りが始まります。

 

朝的(詳しくは「流鏑馬のみどころ~朝的・夕的~」をご覧下さい。)
あさまとう

 神主が馬場と的を清め、陣笠、陣羽織姿の乗り子が馬場を一往復する陣道(じんみち)を行います。陣道の後、乗り子は陣笠、陣羽織を脱いで烏帽子をかぶり、一の馬から順に1回ずつ騎射をします。その後、鞭を持っての騎乗を2回行います。

 

野陣(のじん)
野陣

 野陣は、戦場の野外の陣を表現したとされ、馬場の南端に陣幕が張られます。乗り子は冷酒と柿の接待を受けます。野陣を終えると、乗り子と矢取りは的宿に戻り、夕的に備えます。

 
追酒盛(おいさかもり)~出陣

 乗り子は、追酒盛と呼ばれる儀式の後、的宿を出発します。追酒盛では、1本の箸を使って湯漬けの少量の飯を食べます。追酒盛は出陣の厳しさを表したものと考えられます。

  的宿を出発した祭馬一行は、榎堂と呼ばれる毛呂本郷の大榎を廻り、神社へ向かいます。榎堂は、かつてこの地を治めていた毛呂氏が最初に居を構えた場所とも、毛呂氏の墓所があった場所ともいわれています。

 出陣の際、乗り子は紙垂(しで)で飾られた花笠をかぶり、背中に矢よけの母衣(ほろ)を背負った正装姿になります。

 

追酒盛 
おいでのさかもり

出陣
しゅつじん

 

夕的 (詳しくは「流鏑馬のみどころ~朝的・夕的~」をご覧下さい。)

 一行は神社下で爪きりの儀式を行った後、山に上り、華やかな正装姿の乗り子が馬場を一往復します。その後、リーダーである一の馬が、一の的に1回だけ矢を射る願的(がんまとう)を行います。願的は、地域の人たちの願いを神に伝える重要な儀式です。願的が終わると、乗り子は花笠と母衣をとり、陣笠、陣羽織姿で陣道をします。続いて、乗り子は陣笠、陣羽織をとって烏帽子をかぶり、一の馬から順に、矢的(やまとう)、センス、ムチといった馬上芸を行います。ミカン投げ、餅撒きなどを行ったあと、ムチを持った騎乗が日暮れまで続きます。

  

願的(がんまとう)がんまとう

矢的(やまとう)やまとう

 

 


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出雲伊波比神社の流鏑馬まつり

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